その時、求めているもの
例えば、寒い夜仕事帰り、腹が減っていて、横浜家系のラーメンがものすごく食べたい気分になったとする。
その時、横浜家系のラーメンが食べれた時、めちゃめちゃめちゃ幸せにならないだろうか。
僕は食事の時、自分のwantを常に探求している人間で、なにを食べれば満足感を得られるのかを考えている。
これは食事以外にも全て言えることだろう。
例えば、映画でも、アクション映画を見てスカッとしたいのか、ヒューマン映画を見てじっくり楽しみたいのか、コメディ映画を見て笑いたいのか。
上手いこと自分の気分にあったピッタリとした映画を見ることができれば、映画をさらに楽しむことができるだろう。
今日一番に言いたいことは、その時の気分にあった音楽を聴けた場合、めちゃくちゃ気持ちがいいということだ。
僕は、NO MUSIC NO LIFEっていうほど、音楽に酔狂していないが、ほんとスッと自分の中に入ってくる音楽を聴けた時、めちゃめちゃ気分がよい。
しかし、これが難しい。
というのも、食事なり映画なりは割と自分のwantがわかるのだが、音楽はそれらに比べると自分のセンサーが自分自身で分からず、毎回のように音楽を最高に楽しめないという点だ。
実は、食事などは、80パーセントの確率で満足度の高い食事ができている自身がある。それは、高い料金の食事をしているわけではなく、自分の求めている料理が割とわかるからだ。またなにが食べたいかわからなかった場合でも、なんでもいいから食べるものに対し、自分の心を寄せることができるからだ。
だが、音楽は、そこまで自由に操ることができない。
また、先ほども言ったが、NO MUSIC NO LIFEのような人間じゃないので、音楽を常に聴くことが難しい。
音楽をどうしても受け入れられない時がある。
電車内の移動は基本的には音楽を聴いているが、あ、今日はどうしても歌を聴くのはできない!という日がある。
でも、音楽を聴いている人は、毎日のように聴いているだろう。僕の周りにもそういう人は多い。
すごいなと思う。僕にはできない真似だ。
(でも、電車内を見渡すと、音楽を聴いている人間って意外と3割にも満たないくらいで、みんながみんな聴くわけじゃないんだなという印象。)
ただ、自分にピッタリの音楽を聴けると、本当に気分がよい。
この間、サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」を聴いた時は、
朝の眠くてだるかった出勤前の自分のやる気を一気にやる気にさせてくれて、
音楽って偉大だなと思ったくらいだ。
でも、最近は聴きすぎて、感動の威力が弱まってしまった。
別の音楽を聴こうと思うのだが、なにを聴けば、また満足できるかがわからない。
そんな日々がたまに続く。
そんな時、ありませんかね。
おわり