マティーズデイ

日々の思うことを少しコミカルに書けたらなと思ってます。

マフラーはすごい

中学生くらいの時、テレビで当時人気だった某占い師の方が、災害時、寒かったらとりあえずタオルでもなんでもいいので、首になにか巻いとけ、と言っていた。

 

占いとはなんの関係もないが、寒がりの僕にとってその内容はありがたかった。

 

なので、声を大にして言いたい。

 

 

マフラーはすごい。

 

4月に入ったが、まだまだ寒い日々は続く。

 

しかし、そんな時、マフラーさえ巻いておけば、とりあえずの寒さは凌げる。

 

そろそろ春のトレンチコートを着たいのだが寒さに耐えられるか不安。。

 

そんな時はマフラーさえ巻いておけば、問題ない。

 

できれば、もっと厚手したいし、レギンスも穿いておきたい気分の時もあるが、マフラーさえあればとりあえず大丈夫。

 

街の人を見ていると、友人らを見ていると、それに気づいている人は少ない。

皆、マフラーのすごさに気づいてないのだろうか?

 

あんなにコンパクトで寒さを凌げるアイテムなのに。

 

僕が寒がりなだけなのだろうか。

 

 

おわり

 

P.S.

でも、できれば、駅のホームで待ってる間、マフラーのようなすぐに着脱可能なレギンス的なサムシングが欲しい。

 

その時、求めているもの

例えば、寒い夜仕事帰り、腹が減っていて、横浜家系のラーメンがものすごく食べたい気分になったとする。

 

その時、横浜家系のラーメンが食べれた時、めちゃめちゃめちゃ幸せにならないだろうか。

 

僕は食事の時、自分のwantを常に探求している人間で、なにを食べれば満足感を得られるのかを考えている。

 

これは食事以外にも全て言えることだろう。

 

例えば、映画でも、アクション映画を見てスカッとしたいのか、ヒューマン映画を見てじっくり楽しみたいのか、コメディ映画を見て笑いたいのか。

 

上手いこと自分の気分にあったピッタリとした映画を見ることができれば、映画をさらに楽しむことができるだろう。

 

 

今日一番に言いたいことは、その時の気分にあった音楽を聴けた場合、めちゃくちゃ気持ちがいいということだ。

 

僕は、NO MUSIC NO LIFEっていうほど、音楽に酔狂していないが、ほんとスッと自分の中に入ってくる音楽を聴けた時、めちゃめちゃ気分がよい。

 

しかし、これが難しい。

というのも、食事なり映画なりは割と自分のwantがわかるのだが、音楽はそれらに比べると自分のセンサーが自分自身で分からず、毎回のように音楽を最高に楽しめないという点だ。

 

実は、食事などは、80パーセントの確率で満足度の高い食事ができている自身がある。それは、高い料金の食事をしているわけではなく、自分の求めている料理が割とわかるからだ。またなにが食べたいかわからなかった場合でも、なんでもいいから食べるものに対し、自分の心を寄せることができるからだ。

 

だが、音楽は、そこまで自由に操ることができない。

 

また、先ほども言ったが、NO MUSIC NO LIFEのような人間じゃないので、音楽を常に聴くことが難しい。

音楽をどうしても受け入れられない時がある。

電車内の移動は基本的には音楽を聴いているが、あ、今日はどうしても歌を聴くのはできない!という日がある。

 

でも、音楽を聴いている人は、毎日のように聴いているだろう。僕の周りにもそういう人は多い。

 

すごいなと思う。僕にはできない真似だ。

(でも、電車内を見渡すと、音楽を聴いている人間って意外と3割にも満たないくらいで、みんながみんな聴くわけじゃないんだなという印象。)

 

 

ただ、自分にピッタリの音楽を聴けると、本当に気分がよい。

 

この間、サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」を聴いた時は、

朝の眠くてだるかった出勤前の自分のやる気を一気にやる気にさせてくれて、

音楽って偉大だなと思ったくらいだ。

 

 

でも、最近は聴きすぎて、感動の威力が弱まってしまった。

 

別の音楽を聴こうと思うのだが、なにを聴けば、また満足できるかがわからない。

 

そんな日々がたまに続く。

 

 

そんな時、ありませんかね。

 

おわり

せっかく吉祥寺に来たんだし、、

その日は、2軒目の面接を終えた後だった。

前夜、仕事が夜遅くまであり、家路に着いてから履歴書を書いたり、企業研究などをしたため、あまり寝る時間を取れなかったため、2軒目の面接を終えた後は、クタクタな状態だった。

 

2軒目の場所は、吉祥寺だった。

 

久しぶりに吉祥寺に来る。1軒目が新宿だったので、中央線(快速)の場所に相変わらず戸惑ってしまう自分と新宿駅の煩わしさにイライラしながら、住みたい街No. 1吉祥寺に来た。

 

吉祥寺は、吉祥寺シアターという劇場に来る時によく来るが、それ以外ではあまり来ることはない。

でも、何回来ても、オシャレで、代官山とかと違い若者にも行きやすく、でも、原宿や下北ほどギャンギャンしていない、ほどよい街だなあと思った。

 

さて、面接を終えた帰りだが、その日はほとんど予定がないため、帰ろうかと思った。

 

時間は14:30だった。

「せっかく吉祥寺に来たんだし、軽く寄ってこうぜい」

と、好奇心の僕が語りかける。

 

「いやいや、待てよ。こっちは疲れてるんだよ。最近あんま寝れてないし、もう早く帰って寝たいよ。」と、疲労感の僕が反対意見を述べる。

 

そんな自問自答を繰り返しながら、駅に着いてしまった。

帰り道、手頃なカフェでもあれば立ち寄ろうかと思ったが、あるのはチェーン店のよくあるカフェだった。

 

カフェの人が溢れかえっている時間帯に美味しくもないチェーン店のコーヒーにお金を出したくない。

その日は、質の良い素敵な空間で、この疲れた体を癒したい、そんな気分だった。しかし、疲れているので、わざわざネットで調べて吉祥寺のお店を調べることもしなかった。

 

しょうがない、良いお店もなかったことだし、帰るか、そんなことを思ったのだが、

「ちょっと待ったあああ」

好奇心の僕が待ったをかける。

 

 

今、ここで帰ってしまっては、せっかく吉祥寺に来たのに、もったいないのではないだろうか、、それに探せばきっと美味しいお店はあるだろう。

 

結局、好奇心の僕が打ち勝ち、調べる。

 

めちゃめちゃ素敵なお店を見つける。

徒歩6分。

面接帰りの道だ。

 

どうして最初から思い直さないのだ。そうすれば、無駄に歩かなくて済んだのに。

 

でも、そうこう思いながらも、お店に向かった。

 

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そこは団地のような場所を改築して作られた場所だった。

このドアを開けなければ入ることができないので、少し勇気がいるが、中に入ったらそれは素敵な空間だった。

 

残念ながら、中の写真はないです。

なかなか素敵な空間で、僕のカフェランキングでも上位に食い込むくらいの良さだった。

 

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マサラチャイティーを頼んだ。最近、ハマっているのだ。

でも、今まで飲んだどのチャイティーよりも風味がよく、美味しかった。

 

来てよかったと心の底から思った。

好奇心の僕に感謝である。

 

 疲れを吹っ飛ばしてくれるくらいの居心地のよい空間だった。

吉祥寺に来た時は、また立ち寄りたい。

 

おわり

 

 

 

 

ナシゴレン

 

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恵比寿にて、インドネシア料理店に立ち寄り、ナシゴレンを食べる。


本当は、恵比寿のオススメランチに載っていた格安ランチの焼肉屋さんに行こうと思っていた手前で店員さんに呼び止められ、脚を運ぶことに。
結果的に、僕は満足のいくランチをとることができた。


理由は、まずナシゴレンを初めて食べて、更に美味しい体験ができたこと。

ランチを食べた後は、時間つぶしのためWiFiのある環境下で過ごそうと思っていたのだが、このお店にはWiFiがあったこと。

店内がゆったりして居心地がいいこと。


ネットで検索した情報も大事だけど、このような思いがけないラッキーもあるんだなぁと思った。


ところで、僕は大人数の飲み会でない限り、焼き鳥は基本的に串から外さない派だ。

本当はそれでも外したくない。しかし、その場の空気というのもあるので、強く言えないし、そうはいっても、個人的に唐揚げにレモンはかけたい派なので、筋が通ってない話かもしれない。

外すのがマナーと思っているやつは間違い。焼き鳥屋さんは、串についた状態で食べて欲しいと思っている。お前は寿司を食べる時ネタとシャリを外すのかと問いたいくらい。

 

 

だがしかし、この焼き鳥は串から外した。

理由は、右手にビール、左手に焼き鳥ならばかぶりつくのはわかるが、右手にスプーンを持っていて、左手に焼き鳥というのは、ちょっと違うかなと思ったからだ。

いや、最大の理由はご飯の上に乗っているからだ。

 

ググっても、居酒屋での焼き鳥の外すか外さないかの論争しかヒットしない。

そもそもナシゴレンには必ずしも焼き鳥はのっていない。

 

一体、なんなんだ、、、、

 

そんなことを思いながら、食していた。

 

うん、ナシゴレン美味い。

 

 

おわり

 

駒場東大前②

学園祭を後にした僕の目的地は、こまばアゴラ劇場だったが、時間に余裕はまだあったので、カフェへと向かった。

 

駒場東大前で降り立つのは、これで6、7回目くらいだ。降りた時は間違いなくアゴラへと向かっていた。

 

その前に行く場所は、たこ焼き屋さんや、定食屋さん、タイ料理屋さんがお気に入りだったが、お腹は全く空いていなかったので、カフェへと向かった。なんだかんだ駒場でカフェを利用するのは初めてだ。

 

セルフサービスで、250円でコーヒー飲み放題のお店がある。以前、知り合いが紹介してくれたのを思い出す。

カフェラテとかだとまた別料金などがかかるのだが、コーヒーだけなら、この値段らしい。

僕はお腹が全く空いていなかったが、ガトーショコラなどのケーキ類のメニューが目に映った。

お腹は空いていないが、とりあえずケーキを食べておきたいところはある。

コーヒーもカフェラテを飲んでみたい気持ちもある。

 

しかし最近、逆に、敢えての、1番安いメニューのみを頼んで、ストイックさを出す、というのを自分に課している。倹約家を目指しているからだ(現状は全然倹約できていないが)

 

そもそも、僕は時間を潰せればよいのだ。店の雰囲気からするに、ここはコーヒーが美味しい店でない。時間を潰せればそれでよい。そこで、無駄にカフェラテやケーキを頼むことは無駄な出費である。

 

だから、逆に、敢えて、1番安い、しかも飲み放題というコーヒーを頼むことは、良いことだ。

 

本当にストイックな人間なら、3秒くらいで決められるかもしれないが、僕は1、2分かけてその決断を下すあたり、まだまだストイックさが足りない。

 

コーヒーを頼む。

 

最近、咳っぽいので、龍角散を舐めていたのだが、龍角散を舐めた後に飲むコーヒーはひどいもんだ。

 

元からさしてうまくもないコーヒーかもしれないが、龍角散を舐めた後だったので、龍角散の味の雰囲気とスーッとした感じのが合わさり、まるでよくなかった。

 

それでも、そこは、1人用のテーブルで、割と広めのテーブルだったので、店内もオシャレで居心地がよく、250円でこんなに入れるのは素晴らしいお店だな、また行きたいなと思った。

 

 

時間がきたので、こまばアゴラへと向かった。

 

久しぶりのアゴラでの芝居は相変わらず良かった。アゴラ劇場は、小劇場でもある程度の実力をつけた人が立てる舞台だ。

大学生の頃、アゴラで芝居をすることを夢見てた。いや、いつかアゴラで芝居をするだろうとさえ思っていた。

 

大学三年生の冬、まだ2、3回目くらいのアゴラ劇場。その帰り、大学の演劇サークルのやつらと一緒に観に行ったのを思い出す。その時のお芝居に興奮し、帰りの食事で熱く語ったのを思い出す。

 

僕は今後恐らくアゴラに立つことはないんだなとその時思い、少し悲しく思った。

 

久しぶりのアゴラで見る芝居は面白かった。いや、アゴラで見る芝居は大抵面白く、芸術性に長けている。

 

 

劇場から出たら、寒い風がブワッと吹き付けた。負けないぞと一歩踏み出す。

 

今夜はコーヒーを飲みすぎたせいか、寝れなさそうだ。

駒場東大前①

その日は、渋谷からの乗り換えで、渋谷からの乗り換えは迷路のようにぐるぐると歩かされるのでいつも腹を立てていて、その日ももれなく腹を立てていた。渋谷から、京王井の頭線で、駒場東大前駅まで向かった。

 

僕みたいな人間が駒場東大前駅に行くのは、駅名の場所に用があるのではなく、こまばアゴラ劇場に用があるからだ。演劇人にはすぐに通じるだろうが、そうでない人にとっては馴染みがないかもしれない。

 

その日の駒場東大前駅は、人でごった返していた。駅名の大学で、学園祭が行われていたからだ。

予定時間より2時間近く余裕があり、近くのカフェで読書でもしようと企てていたのだが、そのうちの少しをこちらに割いてもいいかもしれないと思い、ふらりと脚を運んだ。この間、知人と学園祭の話をしたのも背中を押してくれた理由の一つだ。

 

僕は基本的に大学の学園祭というものは嫌いだ。理由は、大して美味くもないフランクフルトや焼きそばなどを、相手のことを敬わない態度で売ってくるその感じがいけ好かないと思うからだ。もちろん、中にはしっかりとした経営理念を持って売っているお店もあるだろうが、大概がいけ好かない。でも、売っている人からすれば、それは楽しいイベントであり、僕も売り側だったらきっと楽しいんだろうなと思うけど、消費者の側になったらやっぱりいけ好かないと思ってしまう自分がいる。

 

いや、でも、行ったこともない知り合いもいない大学の学園祭に1人で行ったって、あんまり楽しめるもんでもないだろうとは思うのだけど(笑)

 

賑やかな大学生たちを横目に屋台道の人混みを通り抜けた。イチョウの道がとても綺麗で、上ばかり見ていた。

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キャンパス内に入り、展示物のコーナーに行く。この間、知人が学園祭で発表するまでの経緯を聞いて、大学生の展示物に興味を持ったからだ。

そこでは、襖の張り替えの実演やら、カワウソの写真の展示物をやっていた。こっちの方が、外の空気より好きだ。襖の張り替えは声が小さく全く聞こえなかったが、カワウソの写真の展示物もカワウソのアップの写真ばかりでもう少しカワウソの生態を知りたかったこともあったが、久しぶりの大学生の集団という空気に触れ、懐かしい気持ちになった。

 

今まで自分の大学の学園祭の時は、自身の演劇の公演がメインで、あまり他の発表を見に行くことができなかった。行ったとしても後輩のダンスを見ることや、音楽学科のジャズを聴きに行くことが多く、展示物を見る機会は少なかった。

 

でも、高校の文化祭やら、他大学の学園祭やらには、ちょくちょく行くことがあった。それはお芝居を観に行くことがメインで行く場合が多かった。

 

外に出ると、外国の楽器を使った路上パフォーマンスをしている集団に出会う。

そのパフォーマンスは、他の人からするとダサいとかわけわかんないとか思う人も中にはいるかもしれないが、僕にはとっても魅力的に映った。思わず素敵で、笑ってしまった。最後、拍手してその場を去る。

 

当たり前だけど、どの大学生もその学園祭を成功させるために、一人一人準備し、必死なのだ。その頑張りをひしひしと感じることができるのは、学園祭の魅力なのかもしれない。

 

 

そんなことを思いながら、僕は大学を後にした。 

演劇との出会い

 

僕は小さい頃から、目立ちたがり屋だった。

 

でも、幼稚園の頃なんか、大体みんなはしゃぐのが好きだろう。僕もその1人だった。もちろん、引っ込み思案なタイプもいるだろうが、その場に打ち解ければ、みんなはしゃぐのが好きなはずだ。

 

小学生の時、僕は自作の歌を作って、休み時間にみんなの前で歌った。

なんとも拙い歌だ。今思えば、よくあんな歌を歌ったもんだと思うが、小学校低学年の頃の僕は恐れを知らなかった。

 

もちろん、恥ずかしがり屋な一面もあり、お正月など親戚のおじさんの前ではもぞもぞとしている子どもだった。

 

小学生の時の夢は漫画家だった。絵を描くことが好きだからという単純な理由だ。野球少年がプロ野球選手を目指すのと同じだ。

 

中学生の時、テレビドラマを観ていた。中3の夏くらいだったと思う。その時、テレビに出ている同世代の人たちに憧れを持った。俺もこの人たちみたいになりたいと思ったのだ。その時は、演技がしたいとかそういう真面目な気持ちではなく、この人たちみたいに目立ちたいという安易な考えが大部分だったと思う。

 

芸能界を目指そうとかそういうことも少し考えたけど、それは自分の中で遠い存在で、お金もかかるだろうし、そういうのは違うなと思い、高校に入ったら、とりあえず、演劇部に入り、芝居というものを知ろうと思ったのだ。でも、ミュージシャンをやりたいとかそういう別の目立ち方を志そうとは思っていなかった。理由は、僕が音痴だからミュージシャンは違うなというのもあるが、自分の中で、お芝居をすることに対する憧れみたいのは少なからずあったのかもしれない。 

小学生、中学生の頃、好きな授業は国語だった。理由は、みんなの前で、教科書に載っている物語を読むことが好きだったからだ。みんなの前で、読んで表現をする。そのことに快感を覚えた。

 

 

中学生の時は、自分の学力で行けそうな高校の文化祭に行き、演劇部の公演を見て回った。そこでここだ!と思った高校が、入学した高校だった。

しかし、当時の僕は学力は学年でも大分下の方で、僕が目指した高校は、学力的に高くもないが低くもない平均的なところだった。中3の夏まで北辰テストでは、毎回合格率10%未満で戦慄していた。

水泳部を引退して、受験勉強をし、なんとか合格することができた。公立高校で、私立を併願していなかったので、もし、受験に失敗していたら、演劇と出会うこともなかったかもしれない。その時の自分を恐ろしくて想像できない。

 

 

高校に入学し、演劇部に入部した。

 

演劇部というのは、顧問の先生によって、その強度が決まる。

 

僕の行った高校は、正解の高校だった。顧問の先生は、しっかりとした演劇理念を持つ方だった。しかし、とても変人、というか、鬼神というか、世界の蜷川幸雄のような怖い先生だ。さすがに高校で灰皿は投げないが、怒ると雷を喰らったかのような衝撃を放つ。

高校では有名で、みんなから恐れられていた。でも、わかる人にはものすごく尊敬される、そんな先生だった。

 

先生にはたくさん怒られたけど、演劇というもののなんたるかを教わった。

 

今では僕の人生で一番の恩師である。卒業後も、たまにサシ飲みをしては、人生相談に乗ってもらったりもする。当初では全く考えられない。

 

高校一年生の夏、プロのお芝居に連れてってもらった。初めて見るプロの芝居だ。

 

その日は、演劇のすごさを初めて実感した日だった。

役者の方々の立ち振る舞い、声量、台詞に圧倒された。照明、舞台美術、音響などなど、とにかく感動させられた。

 

もちろん、それまでも演劇部として活動していて、本読みなどをしていて、まあこんなものかと思っていたのだが、僕の中で、本物の演劇を見て、演劇の価値観が変わった。

 

僕はその時初めて演劇は目立つことではなく、表現活動なんだということを理解した。

 

そこから少しずつ自分の中で役者という職業がただの憧れから、本気の夢としてシフトしていった。